ADEになりたくて。

高等学校の保健体育の先生の雑記です。Appleが大好きで、Apple製品に包まれてお仕事しています。

授業における集団行動について

 

 

 

こちらのツイートが話題になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

私の授業でも、授業の初め(高校1年生の初めの5回ほど)に集団行動を取り扱います。

 

 

 

集団での実技科目ということで、整列や発声の訓練をすることは、安全確保上大事なことです。

 

 

また、集団行動を求められる場での態度・姿勢を教えます。(やる時はやろう!程度のことで、どう捉え行動するかは生徒の自由です。)

 

 

 

 

 

がしかしそれを踏まえても、動画に上がっているのは集団行動としては少し過度かなあと思います。

 

 

 

でも、ツイートされている方がおっしゃっているように、これは1つの芸・発表を目指したものとして成り立っているのではないでしょうか。

 

 

 

これが、現代的なリズムのダンスやソーラン節などの伝統的な踊りだった場合でも、この子どもたちは動画のような迫力ある雰囲気でできるのだと思います。

 

 

 

 

 

まず前提として、子どもたちはこの集団行動の動作が直接、常々日常に役立つものとして、捉えているでしょうか?

 

 

 

私は、そんな風に捉えるほど子どもたちはバカではないと思います。

 

 

 

子どもたちは賢いし、鋭いです。

 

 

 

集団行動をいわゆる集団行動としてそのままに捉えていないだろうということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先程申し上げた通り、これがダンスでも合唱でもいいし、その中の選択肢として集団行動でも良かったのだろうと、わたしはそう捉えています。

 

教員との信頼関係や、今までの伝統や流れのようなものがなければ、こんな迫力のある発表はできません。

 

やりなさいといって、やってくれるほど教育は簡単ではありません。(もしも、そこに暴力があったならばとんでもないことで、この集団行動の指導は間違っています。)

 

子どもたちは、物事に一生懸命に取り組めるという資質があるだけであって、心までは侵されていないだろうとわたしは言いたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

集団行動を教えるのではなくて、集団行動を通して何を子どもたちに習得させるのかが大事な視点だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

この発表が終わった後に生徒の口から出る感想はなんでしょうか。

 

「あー!俺たちもやっと軍隊みたいになれたな!」や「軍隊式サイコー!」でしょうか。

 

それよりも「声かすれてたぞー!笑」や「礼のタイミング結局ずれたまんまだったやん。笑」などの何気ないけど一体感のある言葉であることをわたしは期待して、自分の担当クラスに集団行動を教えます。